『四季 夏』(森博嗣)

自分、信者っスから……

 また、四季は絵を描くこともない。書くことの意味が、彼女にはないからだ。頭の中にある映像や立体は、現実のものよりも詳細で、自由だった。いつでも取り出せ、いつでも変形できる。色を変えたり、大きさを変えることも自由だ。それなのに、それなのに、不自由な紙にどうしてものを描く必要があるだろうか。
 しかし、結局はすべて、その不合理さの排除が、自分自身を追いつめていることに、彼女は気づき始めていた。自分の内にあるものが絶対的すぎる。そのために、失うという行為が遠くなる。自分の外にあるもので、自分の中に取り込めないものの存在が、ときどき彼女の前に立ちはだかる。(P170)


けだし名言であるですだすよ。
私も音楽については(もう少し自由だったら)これに近いな、と思いますけど、ここまでくると凄いというか何と言うか。

 たとえば、すべての色に名称があるわけではない。色は無限にあるが、数から整数を取り出すように、ところどころの段階を共通的に扱う以外ない。(P225)


四季・夏 (講談社ノベルス)

四季・夏 (講談社ノベルス)