筒井康隆インタビュー 『銀齢の果て』は究極の「老人迫害」ドラマ

新潮社の文芸PR誌『波』2月号より。

――『銀齢の果て』は、『虚航船団』『俗物図鑑』などに連なる、登場人物全員滅亡の系譜の作品ともいえると思います。この形式に惹かれるのはなぜだとお考えですか?
 最初は「霊長類 南へ」ですね。核戦争という人類の愚行でみんな死んでいくわけですが、だいたい人間はいつか必ず死ぬ存在で、それが一度に大量に死ぬのはまさに人類の愚行の照準があった不幸な連中です。列車の事故で大量に死ぬのも人命より会社の成績を優先したという人類の愚行によるものだけど、その場合は死者の一人ひとりのテーマは違うから小説には書きにくいんです。同じテーマを抱え込んだ連中の滅亡というのはロマンでもあるし、人類の最後のテーマでしょうね。近く人類が滅亡するということはもう確実なんだから、もしかするとこれは最後の文学的テーマかもしれませんよ。
筒井康隆インタビュー 『銀齢の果て』は究極の「老人迫害」ドラマより

「人間は生まれながらの死刑囚である」と言ったのは誰だったか、とにかく人は放っておいてもいずれ死ぬのになぜ一遍に死ぬ(=滅亡)するのか。それは道半ばで誰かに殺されるからであって、その「誰か」は、『銀齢の果て』では「老人に対する迫害」なわけですね。
そして「早逝は善を残す」と言ったのは誰だったか、道半ばでの死は善を残します(たとえそれが老人の死であっても)。それはロマンとなりうる。

「人は読む本がないために自分で本を書きはじめることがある」と言ったのはエリオットですが、その言をこのインタビューで引いたのは筒井康隆です。それにしても「登場人物全員滅亡の系譜の作品」というのは凄い。