『ロクメンダイス、』、『ロウフィールド館の惨劇』、あるいは私がミュージカル嫌いな理由

登場人物

座敷牢(仮名) 義兄。少女革命を夢見るも、自分が少女ではないことに気付かない程度のメルヘンは持ち合わせている。メンヘル
半名(仮名) 義弟。挙動不審時に見せる桂馬のような動きに定評が。「腰抜け」と言われるとキレるバック・トゥ・ザ・フューチャー世代筆頭。

承前

座敷牢(仮名)(以下) ライトノベル三大奇書だと聞いて飛んで、いや読んでみましたということで『ロクメンダイス、 (富士見ミステリー文庫)』。でもなかなか見つからなくてねえ。
半名(仮名)(以下) そうですね。我々、一生懸命探しました。そして……(お父さん、)見つかりました……という。
 あちこちをたんけんしたからね。北海道とか。(伝説の初代スレ1
 そのスレ懐かしいですね。

ライトノベルについて

 (無言)
 奇書について語る前に普通のライトノベルについて語ろうと。
 ああ、喫茶店に行かないのにメイド喫茶なんか行けるかという話ね。でも、語れるほどは読んでないなあ。続き物をちゃんと読んだのは『オーフェン』シリーズと『バッカーノ!』シリーズと秋山瑞人作品ぐらい?あと『ブギーポップ』シリーズ。
 割と読んでるじゃないですか。 
 (無言)
 (無言)
 ……ライトノベルについて、これは作家のオ鈴木隆アイルランド系)さんが言ってることなんだけど……やっぱり誰も幸せにならない発言だからやめとく(笑)
 

作詞をしているのですね?

 本題に入ろうか。『ロクメンダイス、 (富士見ミステリー文庫)』だけど、序盤キツかったなあ。
 噂に違わぬキツさで。  
 地の文がねえ。
 当然最初のほうは説明とかで多くなりますからね。でもなにがキツいって、やけに詩的なんですよね、地の文が。
 われらが森博嗣先生だったら「作詞をしているのですね?*1」と言うね。それくらいポエティック。
 あと、タイトルの字面的には『詩的私的ジャック (講談社文庫)』ですよね、内容は全然違いますけど。おまけに主人公一人称の語り手がまた。 
 「ぼくの心はもうダメだ」みたいなことばっかり言ってるからね。『ロクメンダイス、』(中村九郎/富士見ミステリー文庫) - 三軒茶屋 別館に「まったく信用できない語り手=情緒不安定を通り越して精神病の自覚のある語りは騙りとの区別がまったくつかない」とあるけど、その通りだと思う。
 その「信用できない語り手」はいいとしても、主人公とヒロインの設定がまた……見開きの紹介文から引用すると「恋をしなければならないハツ(主人公)、恋をしてはならないチェリー(ヒロイン)」。
 いや、そこらへんは別にいいと思う。話の筋はいいんだよ。さすがに「心データは8MBのメモリーカードに簡単にセーブできた」(P187)りするのはどうかというか、迂闊だなあと思うけど(笑)、でもその「心データ」とか、ヒロインが動揺すると「すれ違うだけの人さえ感化させ」「無関係の人間を、動揺の原因を叩き潰す兵隊に変えちまう」っていう能力(病気?)のアイデアも、悪くないと思う。それを「心辺警護(しんぺんけいご)」と名付けたりするセンスも嫌いじゃない。むしろ好きなほうかも。
 最後のほうに出てくる「心社会(うらしゃかい)」とか(笑)。ちょっと清涼院流水御大っぽくありません?
 うーん。御大の言葉遊びはガチだから。去年でデビュー10周年だし、やっぱりプロで10年食ってる人は違うよ。
 大説ですからね。
 うん。繰り返しになるけど、話の筋はいいんだよ。結局は一つの小さな恋の話でした、というわけなんだから。あ、小さな恋で思い出したけど、モンゴル800だっけ?そんな曲あったよね。誰かが忘年会のカラオケで歌ってて、そいつがこれまた度し難いくらいの下手クソだったんだけど、なんか気になったんで次の日TSUTAYAでCD借りて原曲聞いてみたらいい曲なんだよ、それ。
 『小さな恋のうた』ですね。シングル盤が出てないみたいで、←はカバー曲ですけど。
 あと『小さな恋のうた』つながりで思い出したけど『小さな恋のうた』よりもむしろ『小さな恋のメロディ [DVD]』に近いよね。近づいてはいけない環境にいる二人が近づくっていうパターン。『小さな恋のメロディ [DVD]』は学校の規律とか年齢が理由だけど。見たことある?ラストシーンがまたいいんだ。 
 トロッコに乗ってくやつでしたっけ?あらすじは知ってますけど。
 あらすじ世代め。そういえば、筋肉少女帯の曲にも『小さな恋のメロディ』はあったな。正しい意味で映画にインスパイアされた曲で、歌詞が凄いんだよ。あれはなかなか書けない。
 確かになかなか書けない歌詞ですよね。
 書けるようになりたくはないけど。

ミュージカルが嫌い

 あと、読んでいていしいひさいちの『コミカル・ミステリー・ツアー〈赤禿連盟〉』にあった『ロウフィールド家の歌劇』も思い出したな。
 『ロウフィールド館の惨劇』(ルース・レンデル)のパロディですよね。冒頭の文で「ユーニス・パーチマンがカヴァディル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである。」といきなり犯人と動機を明かしてしまうという……個人的には倒錯ものでは『告白』(町田康)に次ぐくらいの作品だと思っているのですが。
 『告白』って倒錯なの?大傑作ではあるけど。で、何の話だっけ?
 「読んでいていしいひさいちの『コミカル・ミステリー・ツアー〈赤禿連盟〉』にあった『ロウフィールド家の歌劇』を思い出した」という話ですよこの鳥頭め。
 そうそう。『ロウフィールド家の歌劇』(いしいひさいち作のパロディのほう)の内容を言っちゃうと、カヴァディル家っていう家があって、その家の人々はそろって歌劇好きでテレビでオペラ番組を見ると2〜3日は歌うように会話をする。で、カヴァディル家の家政婦のユーニス、実は音痴なんだけど、そのユーニスがある時家族に歌うように会話するよう命令されて音痴がバレ、一家に憐れまれたユーニスが激昂して金属バットで撲殺するという話。
 兄者長っ。
 仕方ないじゃん。で、これ読んだとき、こういう設定のミュージカルならアリだなと思ったんだよ。カヴァディル家が舞台なら登場人物は歌わにゃならんな、と。
 兄者はミュージカル嫌いなんですよね。 
 うん。なんで歌わにゃならんの?と思っちゃうんだよ。
 タモリ説ですか。僕はミュージカル好きなんですけど、嫌いな人になんで嫌いなの?って聞くとたいてい兄者みたいな答えが返ってくるんですよ。タモリ説は斯界の通説といっていいと思います(笑)。
 そうなの(笑)?そういう自分はなんでミュージカルが好きなのさ。というか、なんで突然歌うのを許せるのかがわかんない。
 様式美ですよ。様式美。兄者が好きな『月下の棋士』と同じです。
 なんで『月下の棋士』が出てくるのよ。
 だって普通、対局中に人は死なないでしょう。
 あれは病気だったんだから仕方ないだろう。それに人はいつか死ぬんだから。
 病気だったら普通は休みます。ミュージカルだって普通は歌わないのに歌う。同じですよ。
 大和天空は命より大事なA級棋士の座を守るために、死を覚悟しながら指し続けたの。ミュージカル俳優は別に歌わなくても死なないじゃん。
 また兄者は理屈になってない理屈を……
 要は生死を賭けるだけの理由があるか、ってことだよ。森先生も小説に殺人事件モノが多いことについて「人生をかけた真剣さが容易に表現できる境界条件だからだと思います。それだけ、身近なものだということですね*2」と書いてる。突然歌い出すことではなかなか人生をかけた真剣さは表現できないよ。
 じゃあ、対局中に性的興奮を覚えてしまう棋士はどうなんですか。
 あれはただの変態だから。

まとめ

 で、まとめたいのですが。
 まとめ。そうねえ。「タモリは凄い」ということしかないんじゃないの。今年の『徹子の部屋』も面白かったし。
 そうですね。 


ロクメンダイス、 (富士見ミステリー文庫)

ロクメンダイス、 (富士見ミステリー文庫)

ロウフィールド館の惨劇 (角川文庫 (5709))

ロウフィールド館の惨劇 (角川文庫 (5709))

*1:『臨機応答・変問自在2』37Pより

*2:『臨機応答・変問自在2』P86-87より