ジャーマンスープレックスの見せる風景――恩田陸『球形の季節』

球形の季節 (新潮文庫)

球形の季節 (新潮文庫)

登場人物

座敷牢
義兄。少女革命を夢見るも、自分が既に少女ではないことに気付かない程度のメルヘンは持ち合わせている。メンヘル
半名
義弟。挙動不審時に見せる桂馬のような動きに定評が。「腰抜け」と言われるとキレる世代筆頭。

承前

座敷牢(以下、座) 『夜のピクニック』の方が面白いと思う。
半名(以下、半) それはそうですけど。今回は総論という形で。

恩田陸投げっぱなしジャーマン説

 だと思うんですけど。
 ごめん、どういう意味かわかんない。
 まず、やっぱり恩田陸といえば読んでて感じるビジュアルの強烈さと風呂敷の畳み方だと思うんですよ。
 そうね。でもあれって畳んでんの?好きだけどさ。あ、だから「投げっぱなし」なのか。でも畳めてるのも・・・
 ありますよね。『夜のピクニック』や『蛇行する川のほとり』とかは畳めてると思います。
 『蛇行する川のほとり』ね。ああいう話が好きなんだ私は。謎を死人が持って行っちゃう系のさ。『MASTERキートン』にそれ系の話なかったっけ?あれも良かった。
 『死者からの贈り物』(コミックス13巻収録)ですね。話の構造はちょっと違いますけど。でも僕もその話は好きですよ。キートンの最後の台詞がいい。「結局、最後の最後まで私達は彼の描いた筋書きから一歩も外に出ることができなかった」。
 それそれ。で、なんでジャーマン(スープレックス)なの?
 視覚性ですよ。ジャーマンで投げられる瞬間の風景が目に焼きつくっていう。
 『餓狼伝』ね。長田のジャーマンを受ける加山が・・・
 「すっげぇスピード(天井‥‥)(真上向いてるンだァ‥)3階席‥‥ッ 2階席‥‥ッ (一回転)」
 「(逆さになってんだァ‥‥‥‥)」(笑)
 早く受け身とれよっていう(笑)。恩田陸の作品のラストがあれでいいってなってるのも、それまでの強烈な視覚性のある場面が多いからだと思うんですよ。読者が「ラストはどういう解決なんだろう」って受け身をとってたら、そういうのは許されていないと思います。
 要は読者に加山みたいに受け身を取らせないってことね。まあ加山は風景に気を取られたわけじゃないけど。

まとめ

 「要は」ってもう言ったじゃん。
 そうですね。