死ぬときは他人だけど

乗峯栄一のトレセン・リポート 古いなあ!より。けだし名言である。

「死ぬときはいつも他人」という言葉がある。
大学で美術史という講義をとっていたとき、ほかのことはすべて忘れてしまったけど、マルセル・デュシャンという現代美術家がこの言葉を言い、彼の墓名碑にもこれが書いてあるということ、それだけは忘れられなかった。
でも正確じゃなかった。正確には「されど、死ぬのはいつも他人」らしい。ぼくの記憶違いだ。
でも個人的には「死ぬのはいつも他人」より「死ぬときはいつも他人」の方がいい。デュシャンモナリザにひげを生やして作品にしたように、ぼくも「死ぬのはいつも他人」を「死ぬときはいつも他人」と変化させて憶えておきたい。
普段は親しくて、好きで、敬愛し、あるいは親しくされ、好かれ、敬愛されていても、死ぬときにはいつも他人なのだ。


森博嗣先生のエッセイだかなんだかのタイトル「思い出は全部綺麗です」と、「思い出はいつもキレイだけど」という歌詞を思い出した。死ぬときは他人だけど、いや他人だからこそ、私たちは生きている間に誰かを好いたり(あるいは嫌ったり)するのだろうか。


そばかす

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