「文学の触覚」/「土田ヒロミのニッポン」@東京都写真美術館

しょっ‐かく〔シヨク‐〕【触覚】 物に触れたときに生じる感覚。
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「文学の触覚」。舞城王太郎目当てで行った。しかし舞城先生については書かない(面白かったけど)。興味のある人はこの記事を読めばいいと思う。「触覚」についても何か書こうと思ってたけど忘れた。それより。

家の中で絵本を見ていると。(執筆 小学校5年)
ヒロシマ1945〜1979」大江紀行さんの証言より

それより「土田ヒロミのニッポン」。展示作品は土田さんのサイトでも見れる。しかし、大きくひきのばされたものを見るのはやはり一味違う。「Part1 日本人」。1960年代後半からの日本、日本人たち。こうやって見てみると、いつの時代も(と書くと言いすぎだけど)老人はあまり変わらないなと思う。根拠のない、いい加減な事を書かせてもらえば、若者には流行があるが、老人には流行がない。そんな印象。でも、写真の中の人々の姿が一番変わらないなと思ったのは「競馬場、川崎」(1981)という作品。直立不動で、あるいは背中を丸めながら競馬新聞に向かい、ハズレ馬券にまみれる男たちの姿は今も昔も変わらないように思える。ひょっとすると私も写真の男たちのようになるのだろうか?(ちなみに、私は成人してから一度も競馬場には行ったことがない)「Part3 Dailyセルフポートレイト」。これも土田ヒロミ公式ホームページのトップページでも見ることができる。それでも展示写真を見ると「これは1999年の土田さんか」とか「1991〜92年の間に急に老けたような気がするな」とか色々思えて面白い。「Part2 ヒロシマ」。これも土田さんのサイトで見ることができる。「ヒロシマ三部作」らしい。このスペースだけ観覧者の足どりが重く、混んでいる。被爆した人を取材した「ヒロシマ1945〜1979」。写真と一緒に被爆した瞬間の、短い体験談のようなものが書いてある。次の三つの言葉。「ちょうど赤十字病院の前までくると。」「家の中で絵本を見ていると。」「そのおばあちゃんと色々話をしていると。」インタビューした人の抜き出し方ひとつだろうと思う。考えすぎだろうと思う(こんなことが気になるのは「文学の触覚」を観たあとだからかもしれない)。しかし、日本語的には「〜すると」という文章で「と」の次にくるのは句点(。)ではなく読点(、)であるはずである。しかし「〜くると。」「〜いると。」「〜いると。」……。当たり前だが、10万人以上の命を奪ったリトルボーイ。思い知る。他には「拒否」の後ろ姿。これも重い。「ヒロシマ・コレクション」。被爆した人の服や持ち物の写真。印象に残る写真ばかりだったが、特に印象に残ったのは中身まですっかり炭化してしまった弁当箱の写真と、その写真の前でずっと立ち尽くす若い女性の姿だった。「文学の触覚」は今月17日まで、「土田ヒロミのニッポン」は20日まで、恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で。