食人賞に興味はない

注:このエントリは深堀骨先生のバカミス大賞受賞記念エッセイ『松下由樹に興味はない』のコピペ改変というか二次創作的なアレであり、当然内容は事実無根のフィクションであり、要は虚言です。


深い知性と教養に裏打ちされた深堀骨先生の作品にトリビュートしようという志高い文学賞であるところの深堀賞は2回開催したが、投稿が1作しかなかった。片腹痛い事態である。「2回開催して投稿が1作しかない」ということは、云うなれば、俺や投稿者が「うつけ者で人生の落伍者」ということになるではないか。非常に心外である。失敬千万にも程がある。
癪なので、以降の文章は俺が今、最も興味のないテーマについて書くことにする。即ち、食人賞である。
俺に限らず、世間の大部分の人間は食人賞に興味なぞない。世の人々は芥川賞直木賞や乱歩賞について語る。また、少しマイナーな賞でも、メフィスト賞日本ファンタジーノベル大賞三島賞について語るし、もっとマイナーな賞……は思いつかないがとにかく誰かは語るだろうし、もっともっとマイナーの極北のような萌理賞について語る人間もいることにはいる。しかし、萌理賞と同じような出自の食人賞について語ろうとはしない。世の人々は日々の生活を送る中で食人賞の存在なぞは失念しているのである。
9月26日、食人賞は誰も予想していなかったところにいきなり提起された。その提起がどんなものかは読んでいないので知らない。その後今に至るまで食人賞には切れ目なく応募が寄せられまくっている。でも俺は食人賞に注意を払わない。しかし気がつけば応募がある。何故これだけ応募があるのか俺は知らない。知ろうとも思えない。気がつけば食人賞。振り返れば食人賞。何時の間にやら食人賞。食人賞とはそうしたものになりつつある。俺は食人賞をどうでもいいと感じてるのに、食人賞にはそんな俺の思惑とは無関係に応募が寄せられまくっているのだ。
例えば、萌理賞は今現在特に人気爆発というわけではないが、第1回か第2回が開催された頃には、閲覧する者をして「おのれ、これは投稿せずにはおれんぞ、おりょーっ」と思わせる何かを放っていた。しかし、食人賞は初めからそんなものは持ち合わせてはいなかったし、今もない。
blogやテキストサイトなどのウェブ上のコンテンツとは不思議なもので、ある個性が消えるとそれに似た後継者が現れるものであるという。もっとも俺はそういった界隈に疎いのでそういった実例を知らないし、隻腕アトムの後継者が出てこないのを見るとその話も眉唾ものだと思うが、伝聞なので俺の知ったことではない。
では食人賞は何の後継者なのか。このまま順調に投稿が寄せられていけば、それは間違いなく異形コレクションである。でもまあそんなことはないだろうし、万一そうなったとしても俺は興味がないから読まないが。