ぼくにできることは引用ぐらいだ!!『爺言(じいごん)』(田埜哲文)
老人たちのインタビュー集。ここで引用するのは『火垂るの墓』についての、作者である野坂昭如さんの言葉。
徹頭徹尾、『火垂るの墓』は自己弁護小説なんですよ。そもそも小説では4歳になっているけど、妹は1歳4か月で、ただ泣いているだけの存在。蚊帳の中に蛍を放ったことや死んだ蛍の墓を作ったのは本当だけど、あれは泣いてむずかる妹をなぐさめるため。少なくとも食い物に関しては、小説の兄のように優しくはない。妹に食べさせようと脱脂大豆(大豆かす)をかみ砕くんだけど、口でやわらかくするうちに腹が減ってるから自分が食べてしまう。決して小説のようなきれいごとではなかった。
妹に最後に何を食べさせたのか、それすらまったく覚えていない。
敗戦後、1週間してぼくは餓死した妹を病院に運んだ。この時も、妹を死なせてもかわいそうだったという慙愧の念はなかったんです。明らかに死んでる妹を背負っているぼくに対する周りの大人の目が煩わしくて恥ずかしかっただけで。一刻も早く人目につかない場所に逃げ込みたかっただけ。この気持ちは言葉では表せない。『火垂るの墓』ではこの時の思いの100分の1も伝えられていないと思う。ぼくはこれ以降、今日に至るまで食い物に関してはうまいとかまずいとか一度もいったことがない。それで察してほしいと思う。
(中略)
5歳くらいの男の子が皮をむいたリンゴを食っているのを当時15歳だった少年野坂昭如が見つけた。腹を減らしていた。だから野坂少年は男の子のリンゴをかっぱらった。リンゴなんて当時は贅沢品だ。贅沢品をガキが食うんじゃない。
奪って逃げて物陰でリンゴに齧りついたらそれはリンゴじゃなかった。皮をむいた生のサツマイモだった。サツマイモは当時の貴重な主食で、命をつなぐ食べ物。決して贅沢品じゃなかった。幼い者の食いぶちを奪ったわが身の罪深さか、自分で自分を憐れんでか、この時ぼくは戦後はじめて涙を流した。
何日かして、闇市のはずれの古着屋に、忘れもしない、あの男の子の着ていた着物が掛けられてあった。暮らしに困った母親が生活の糧に売ったんだ、決してあの子が死んだんじゃないと強いて考えた。
着物の柄は子供が笛を吹き、太鼓を叩いている絵だった。ぼくは今でもあの男の子の顔をはっきりと思い出せる。15歳の少年が、こんなに残酷になれる。これが戦争というものなんです。
「戦争は人間を残酷にする」というくだりで戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)を思い出しましたけど、もっと重いですよね。圧倒的な言葉の前に語る言葉を失うというか。
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