禅譲は行われたのか

王者が王者に対して後悔なくバトンを渡していく――


そんな禅譲の場面を目にすることは滅多にない。それは禅譲という現象が、去り行く王者の自らの競争生活の終え方に対する態度や、単純なタイミングの問題などの様々な要素が重なったときのみに発生する、稀有なものだからだ。
この禅譲が行われるかどうかは、競争を行う当事者たちにとってはどちらかというと些事の範疇だといえるのだろう。しかし、時が過ぎ去った後世に評価を下す好事家たちにとっては大きな意味を持つ。たとえば、テイエムオペラオーの場合を考えてほしい。勝負事にタラレバはないが、もしもオペラオーが3歳時の有馬記念を勝っていたら、4歳時にオペラオーが成し遂げた偉業「年間無敗」に対する後世の好事家たちの評価は違ったものになっていたはずだ。


さて、現在開催中だとまことしやかに囁かれているトリノオリンピックで一つの禅譲が出現した。
フリースタイル女子モーグル。大舞台で完璧な演技を見せたソルトレーク五輪金メダル・世界選手権優勝4度の32歳、カーリ・トローノルウェー)の25.65点をW杯2年連続総合王者の22歳、ジェニファー・ハイル(カナダ)は26.50点で軽く突き放してみせた。結果はハイル金、トロー銀。トローは競技終了後、「今季は最後のシーズン。ひざの痛みがそろそろ限界だし、他にやりたいことがある」と満足感を示し、笑顔で引退を宣言した。頂上での禅譲。美しい禅譲だった。


ここまで書いたことは所詮は結果論だ。しかし事実として禅譲は行われた。日本人が大好きなメダルは一つしか残されていなかったのである。