肉体言語学者の論理『延長戦に入りました』(奥田英朗)

今まで手を出していなかった作家さんの作品にも手を出そうと『イン・ザ・プール (文春文庫)』、『空中ブランコ』、『ロクメンダイス、 (富士見ミステリー文庫)』、『町長選挙』、と読んでみたら奥田英朗面白いじゃん(『ロクメンダイス、 (富士見ミステリー文庫)』については誰も望んでいないであろう感想を書くや、書かざるや的心境)ということを知り、さらに奥田英朗が野球好きでスポーツに関するエッセイ集を出していることをさらに知り、読んでみたら案の定この作者らしく着眼点の底意地が悪く、面白かったのでメモ。



そのタロさんが、ある日こんなことを言った。
「パンなんぞ食っとるからアカンのや」
我々バイトが昼食にパンをかじっていると、そばに来て「こんなもんで力が出るのか」と小さく笑った後、真顔でポツリと言ったのである。
私は動揺した。180センチを軽く超え、岩石顔のタロさんが我々バイトが非力なのをそれとなく問題にしている。まずい、何としても怒らせたくない。
「パンはダメだ」
タロさんはしきりにそれを繰り返した。そういう根拠でそういう信念にたどり着いたのか不明だが、タロさんは間違いなくそう確信しているようだった。そうかなあ、アメリカ人はパン食ってるけどなあ。むろん、我々は反論することなく、力なく笑うだけだった。格闘家に理屈で対抗しようなどとは無謀が過ぎる。最後の最後には肉体言語が待っている。パンごときで痛い目に遭いたくない。
(中略)
かくしてタロさんは「パンを食う奴はダメだ」という無茶苦茶な信念をさらに深めるのであった。
つまり、図式としては「主張」→「逆らう者なし」→「そうか自分は正しい」→「信念」。格闘家たちの信念は、往々にしてこのように形作られる場合が多いのでは、と思うのである。

高校時代、冬になると体育科目がサッカーの時間になり、みなが楽しみにしていた。
(中略)
よって我々のサッカーにおいて、まず重要なのは、誰にゴールキーパーを押しつけるかであったことは論を待たない。冬空の下、級友がボールを賑やかに追っかけてるのを見ながらゴール前にひとりたたずむなんて、誰が望んでやるものか。
いちばん手っ取り早いのは気の弱そうなやつを、「お前やれよな」と脅迫的な目つきで2、3人で取り囲むことであるが、それで言うことを聞くような男は往々にして肝腎なときに役に立たない。シュートする敵に覆いかぶさって果敢に止めるということをしないから、勝負にかかわる。じゃあ運動神経の優れたやつを選べばいいのだが、そういう男はフォワードをやりたがる。
我々が考えたのは「ジュースをおごる」作戦であった。これは功を奏した。フォワード5人で100円も出せば、売店のコーヒー牛乳2本くらいは飲ませてやることができたのである。そしてクラスに一人や二人はわずかの金で身を売る男がいたのである。我々のサッカーはJリーグよりずっと先にプロ化していた。
(P130〜131『サッカーの精神と高校生の拡大解釈』より)      

よく「マルチな活躍」という誉め言葉があるが、これも最近では安売り気味のように思える。歌手が映画監督をしたくらいで、このように言ってはならない。歌手が映画を作るなど同じ芸能界の仕事であって、歌手がトキの人工孵化に成功してはじめて「マルチ」と言えるのである。
(P172『万能選手の尊敬と複合競技の醍醐味』より)


延長戦に入りました (幻冬舎文庫)

延長戦に入りました (幻冬舎文庫)