風船ガムを噛む男


「朝日杯を勝たせてもらったときは張りがあって、本当にいい体をしていましたね。終生あの体には戻らなかった」「古馬になってマイルのG1を使ってみたかった。マイルではいちばん強かったと思います」
         ――バブルガムフェローについて、藤澤和雄(調教師)
 

「この馬について最後までわからなかったのが口向き。口向きが真っすぐなら、もうふたつはG1を勝っていただろう」「藤澤調教師が言っているのはよくわかる。マイルなら負けなかったでしょうね」
         ――バブルガムフェローについて、岡部幸雄(主戦騎手)


http://jra.jp/news/201004/042703.html


今でこそ何のblogと言っていいかよくわからない感じのこのblogですが、最初のエントリ名は「9月17日(土)のよりぬき出走予定馬」であり、blog内に「バブル産駒」というカテゴリがあることからもわかるように、きっかけの一つとして、「大好きなバブルガムフェローの子供たちを応援していこう」という思いがあってはじめたblogではありました。
結果としてバブルは残念ながら種牡馬としては期待ほどの成功を収めたとは言えず、blogに占めるそういったエントリのウエイトは下がる傾向にあったのですが、それでも個人的にはほぼ毎週末産駒の出走予定馬をチェックしたりして、活躍馬が出ればひっそり盛り上がっていたので、今回そういったことの終わりが明確になってしまったのには、……というか、あと10年とは言わないまでも、産駒数が減っても、もうちょっと楽しませてもらえると思っていました。


改めて競走成績を振り返ると、本当に立派だと思います。うっかり負けたけど「いいケイコになった」デビュー戦、余裕だった折り返しの新馬戦と府中3歳Sそして朝日杯、年が明けて、後から行く競馬を試したスプリングS、そして骨折、休養。遠くドバイから来た言いにくい名前の馬*1に負けるも復帰戦としては上出来の毎日王冠、「具合が良かった」し、運も良かった会心天皇賞、その天皇賞を激走した疲れ*2か惨敗したジャパンカップ。そして4歳*3になって、最も「らしい」レースだったかもしれない鳴尾記念*4、首差惜敗の宝塚記念毎日王冠と来て、エアグルーヴの年度を代表する走りに屈した天皇賞ジャパンカップという全13戦、上の藤澤調教師と岡部Jのコメントからもわかるようにどちらかというと早熟気味であり、なまじ優等生で距離を持たせられたこと、同厩にタイキブリザードがいたことから朝日杯以降マイルを走ることがなかったのが残念といえば残念ですが、それは詮無いことでしょう。

もう一つ97年秋の天皇賞エアグルーヴに首差で負けたのは事実として判っているのですが、心のどこかではいまだにバブルが負けたとは思えない、思いたくないと、どうしても納得できずにいます。村山実が天覧試合で打たれたホームランを「あれはファールだった」という悔しさに似た悔しさというか……

最後に悔しさの表現として、もう一つ印象に残っているのは天皇賞に負けたときの藤澤調教師のコメントで、それを引用してこのエントリを終わりたいと思います。今回、悲しくて文章がいつも以上に支離滅裂ですいません。さよなら、バブル。ありがとうね。

藤沢和雄調教師(バブルガムフェロー2着)
「確かに掛かり気味だったけど、(バブルの)競馬はしているんだ。目標にされたと言ったって、負けたから弱いんだし、弱いから負けるんだよ」

*1:アヌスミラビリス

*2:レース後に鼻水を垂らしていた

*3:旧年齢では5歳

*4:バブルは勝った7レースのうち6レースが1馬身以内の勝利というある面で大変賢い馬で、唯一例外だったこのレースも記録的には着差は2馬身もカラ馬を半馬身だけ交わしてのゴールという賢さを見せた